LOST ONE after1

 LOSTONE事件が、なんとか治まりを見せはじめてから、2週間が過ぎた。
 私たち――桐野杏子と江国雄二――がワクチンを持ち帰った事で、この事件は一気に収束した。
 前もって雄二くんがワクチンの存在を公表していたお陰で、多くの研究者がエルディアに集い、その成分や精製法などがインターネット経由で共有された。お陰で予想以上の速さでワクチンが世界中に流通し、明日をも知れない命だった人々に対して全て無料で提供されたのだ。
 あの恐ろしい事件は、数日過ぎた頃には既に過去のものとなっていた。



 私はベッドに寝転がったまま、ぼけーっと天井を見つめていた。
 ――今、何時頃かしら。
 被害は落ち着いたとはいえ、公に出せない内容が多いあの事件は、今でもマスコミの格好の標的だった。
 内調の方で私たちが真っ先の標的にならないように対策を行なってくれている筈だけど、どこからともなく嗅ぎ付けてくる輩はやっぱりいる。
 本部長からはしばらく自宅待機でね、と言われていたけど、言われなくても外に出られる状況ではなかった。
 お陰でこの2週間、カーテンを閉め切り、ごはんも店屋物で済まし、ただただ部屋の中で報告書作成のためパソコンとにらめっこする毎日だった。
 ――なにが嫌って、デスクワークが嫌だったから、この仕事についたのに。
 現場に出た所で報告書作成という作業からは逃れようがないのだけれども、しかも、これだけの大事件だと、報告すべき量も膨大だ。エルディアに居た間はそれどころではなかった事もあって、詳細を逐一思い出しつつ書く作業というのは想像以上に大変だった。
 だが、泣いた所で誰も助けてはくれない。
 最初の数日こそ、事件による疲労でベッドからほとんど起き上がる事も出来なかったが、何日かして落ち着いた頃には、部長から再三お見舞いと称した催促電話がかかってくるようになっていた。
 対応するのも面倒だったので、仕方なくぼちぼちと書き始めた。というか、それ以外にやる事がなかった。
 そして、気付けばもう2週間が過ぎ去っていたのだった。
 ――そういえば、外のマスコミも大分大人しくなってきたわね
 ここの所ずっとテレビを付けると大体がLOSTONE事件の真相は、国の責任は、と騒がしいものばかりだった。
 ワクチンを公表した関係から、私や雄二くんについて言及する番組まで現れる始末だった。未成年である雄二くんにはある程度規制はかかっていたけれど、その分の皺寄せが私にかけられて、まんま名前も顔も出るわ、高校中学はもとより、幼稚園の写真まで取り上げられる始末。余りに恥かしくって、私が外に出る事が出来なくなった一因でもある。
 私の生い立ちが今回の事件に何の関係があるっていうのよーっ!私が高校時代彼氏に振られたとかっていう情報が何に必要なわけーっ!?
 と叫んだ所で、空しいだけなんだけど…。
 それも日が経つにつれ、少し収まってきた感はある。
 ――そろそろ、外に出られるようになるかな?
プルルル…
プルルル…
 電話が鳴った。
 寝転がったまま、手を伸ばして取る。
「ふあ〜い」
「なんだね〜、そのやる気の無い声は」
「あっ本部長」
 あくびをかみ殺しながら出てしまった。
「だーいーぶ、ゆっくりしてるようだね〜?」
「あははは、まあ、はい」
「結構結構。時間もいっぱいあったろうから、きっと報告書も余裕だったんだろうね」
「ほ、ほうこくしょ…ですか」
「そうよー。大分周りも落ち着いてきたし、そろそろ持参してもらって職場復帰をしてもらおうかと思ってね、電話した訳よ」
 まだ半分も書き終わっていない、なんて言ったら何て言われるかしら…。
 机に山と積まれた紙の束を、私は恨みがましい目で見た。
「んで、色々身支度もあるだろうから、とりあえず明後日あたりから出て来てちょーだい」
「あさって、ですか」
「そうよ」
「あさって、って、何曜日ですか?」
「……だいぶ、リフレッシュしたみたいね、ほんと」
「あははは」
「あはははじゃないよ…。あんなに大変な目にあったっていうのに、相変わらずだね〜君は。ちなみに、今日は土曜だよ」
「わ、わかりました。月曜日から出社ですね」
「ほいほーい。頼んだよ」
「あ、あと」
「ん?」
「今何時ですか」
「……」
 呆れきった声の本部長に今が昼過ぎである事を教えてもらった。なるほど、そういわれるとおなかが空いてた。もそもそ這い出し、冷蔵庫にある残りものを適当に食べる。
 もう今日と明日しか休めないのか、と思うと無性に眠くなってくるのが、不思議だ。こんなに寝てるのに。
 とりあえず、もっかい寝ておこうかな。
 私は再びまだ温かいお布団に潜り込むと、すぐにうとうとと微睡みはじめた…。
プルルル…
プルルル…
 どのくらい眠ったか、また、電話の鳴る音で目が覚めた。
 手で探って、受話器を取って布団の中に引っ張り込む。
「ふにゃ、まだ何か用ですかほんぶちょー…?」
「……誰が本部長だって?」
 その声は聞き慣れたおねえ口調では無かった。
「ふえ……誰??」
 受話器の向こうから大きな溜息が聞こえた。
「2週間話してないと、杏子の記憶からは抹消されるんだな」
「あ、その人を小馬鹿にしたような物言いは、雄二くんでしょ?」
 目が覚めてみると、LOSTONE事件ですっかり馴染んだ彼の声だった。
「今、夕方の5時だけど、まさか今まで寝てた訳じゃないよな?」
「あ、あははは、その、えー、やだなー、寝てた」
 しばし無言。
「……何か、俺、色んな意味で情けなくなってきた」
「なによう。あんなに大変な目に合えば、生活リズムだって狂うわよ〜」
「その大変な目に合ったもう一人は、次の日から学校に通ってる訳だ」
「えっそうなの」
 そ、それは知らなかった。
「マスコミとか、家や学校に押しかけなかった?」
「それは、そっちのお偉い上司さん方が色々手を回してくれたとかで、それほどでもなかった。それよりも、何だかんだで行ってない学校の日数の方が恐ろしいからな」
「そうよね、高校生だもんね、雄二くんも一応」
「一応、ね。で、一応内調勤務の桐野杏子さんは、出勤はまだしてない訳?」
「し、してないけど、でも家で仕事してるわよ」
「仕事してるという割には、社長出勤ならぬ社長睡眠ってぐらい随分優雅な生活してるよな」
「もー、悪かったわよ……。そんな嫌味ばっかり言わなくたっていいじゃない」
 受話器から小さい声で、こっちの気も知らないで、と雄二くんの呟きが聞こえる。そして再び溜息。
「なによ?」
「まあ、いいけど。で、肝心の用件なんだけど、明日、俺、玲奈のおばさんのお見舞いに行こうと思うんだけど」
「玲奈のおばさん……って、あ、工藤社長?」
「ああ。で、天城さんに聞いたら氷室さんも同じ病院に入院してるらしいんだ」
「あれ、氷室さんって、入院してたの?」
「そりゃ、するよ。ロストワン感染者だったんだから」
 そういえば、重症の患者はワクチンを投与後も経過観察を兼ねて入院する、とかいう話をテレビで聞いた気がする。
「氷室さんの場合は投与後も経過が余りよく無かったらしくて、まだ入院してるみたいなんだ。でもそろそろ退院だって言ってたから、大分良くなったんじゃないかな」
「そっか」
「それで、一応二人に関わりのある杏子さんにも電話してみたって事なんだけど」
 いつもは付けない敬称なんて付けるあたりまだ嫌味ったらしいけど、工藤社長と玲奈ちゃんのその後が気になる私には、有り難い提案だった。色々助けてもらった氷室さんの事もやっぱり気になるし。
「行くわよ。玲奈ちゃんも、工藤社長もあれからどうなったのかってずっと気になってたし……。元気なのかな」
「元気じゃないだろ。入院してるんだし」
「そ、それはそうだろうけど、精神的にって事よっ」
「そりゃ、普通は精神的にも、しんどいだろうな」
「あげ足ばっかり取らないでよーもう」
「それを少しでも紛らわしてあげたいとは思わない訳?杏子さんは」
「そ、そうよ。行くわよ。というか、連れてって下さい……」
「了解。最初からそう言えばいいんだよね」
 下手に出たら少し機嫌が良くなったようだ。
「じゃあ、明日の朝10時にセントラルパーク噴水前に集合。杏子、絶対遅刻するなよ」
「分かってるわよ」
「女って、何してるんだかしらないけど、待ち合わせしても大抵時間通りに来ないんだよな」
「何してるって……女性には色々支度があるのよ。何よ雄二くん、そんなに誰かに待たされてたりする訳?つき合ってた子とか?」
「……誰ともつき合った事なんて無いよ。面倒くさいし。大抵女ってそうじゃんって事。玲奈だってさ」
「そんな事ばっかり言ってると、女の子が寄って来なくなっちゃうわよ。まりな先輩じゃないけど、独り身は寂しいわよ〜」
 私がそう言うと、電話の向こうはしばらく沈黙。杏子もだろ、とか言い返されると思っていただけに、ちょっと拍子抜けした。それから、大きな溜息がひとつ。
「な、なによ?」
「とにかく、明日10時、忘れんなよ」
 雄二くんはそれだけ言い捨てて、電話は切れた。
 なんだかいまひとついつもの雄二くんらしくなかったのが気になるけど、とりあえずは明日ね。
 と、いう事は、報告書は今日でほとんど仕上げなきゃいけないって事…?
 私は突如気付いた現実に、さーっと血の気が引くのを感じるのだった…。