ジョルジュの憂鬱2

 朝。夜明け前に目が覚めた。
 ……別段代わり映えのしない、ゴードンの寝顔。子供っぽいが、昔よりは幾分か精悍さを増し、大人びた。…俺が言うのもなんだが、はっきりいってこいつだって「いい男」の部類には入るだろう。いまの性格に、もう少し積極性とマメさが足されたら、女には不自由しないだろうに。いや……もてたとしても、こいつはそんな器用じゃない。童貞を捨てた相手と結婚しそうなタイプだもんな。糞真面目といおうか。
 ……俺がこいつを好きか嫌いかと問われれば、難しい。まあ、近くにいても構わないと思えるから、嫌いではないんだろう。そのレベルでしか、考えられない。俺は、人に好きだとか愛してるなんて、嘘以外で言った事がない。
 ゴードンへの感情は俺の中で形になることなく、霧のように掴みがたい。離れても何とも思わないが、いても構わない。
 それ以上考えない事にした。考えても、答えなんて出てきやしないんだから。
 そもそも、誰かを好きだとか愛してると言った所で、それがどうだっていうんだ?そんなこと言ったところで何が変わる訳でもない。
 だったら別にこのままでいいじゃないか。気が向いた時にキスをし、気が向いた時に抱く。したいから、する。それだけだ。
「う……ん……」
 寝返りをうつゴードン。
 俺はベッドから降りると、脱ぎ捨てられて床に散らばっていた奴の服を拾い上げ、寝入ったままのゴードンの顔に被せた。そのまま押さえ込む。
「う…ぅぅ…………ぷはぁっ」
 目覚めた奴が、俺の手を苦しげに払いのける。
「朝は演習の打ち合わせだ。とっとと起きて部屋に戻れ」
「あ………はい」
 ゴードンは慌てた様にごしごしと顔を擦りベッドを降りる。寝癖の立ったのまま、身支度を整える。
 俺は裸に上着1枚だけ羽織ると、窓辺に腰掛け、葉タバコを詰めたパイプに火を入れた。外は地平線からのぞく橙色の光が辺りを支配しはじめていた。煙りを燻らせながらぼんやりと外を眺めていると、ゴードンがじっと俺を見ているのに気付いた。
「なんだよ」
「あ、いえ……なんでも、ないです」
 そそくさと着替えを続ける。
 ……なんだかな。
「あの、それじゃあ僕、帰ります」
「……ああ」
 寝癖は愛嬌としても、表情に残る疲れの色は隠しようがない。昨晩はあれから3回だ。俺的にはまあ、丁度いい所だが……。
 小走りに廊下に出ていく後ろ姿を見送る。演習はあいつが仕切る役だから、俺は参加する必要はない。
 ……もう一眠りしよ。
 欠伸をしながら枕元に火を消したパイプを置き、まだ二人分の温もりの残るベッドへと潜り込んだ。




 皆が俺の周りを避けて通っていくのが分かる。
 もう一眠りはしたものの、寝不足に重ねて、二日酔いにも似た頭痛を抱え、本日の俺はいたく不機嫌だった。
 食堂でトレイに乗った朝食のパンを、苛立たし気にフォークでつついていると、目の前に立つすらっとした人影。
「朝から景気悪い顔してるな。別れた女にでも迫られたか?」
「アストリアか……」
 古い相棒の、朝からやたら爽やかな笑顔を見て、余計胃が痛くなった。
「外れたか?じゃあ三角関係のもつれか?」
「……知るかよ」
 ポーカーフェイスを崩さない俺。
 アストリアは俺の許可を得る事なく勝手に目の前の席に陣取った。様子を伺う周囲に愛想よく笑顔を振りまいてから、真面目な顔で俺の方に向き直った。
「皆を朝からびびらせてんじゃねーぞ。さっきお前にぶつかった新兵なんぞ睨まれただけで卒倒しそうだったじゃないか」
「精神面の鍛練不足なんだよ。お前の部隊の奴だったろ。何とかしとけ」
「んな状態のお前に絡まれて平気な奴なんてなー、俺かゴードンくらいだろーがー」
「……」
 黙って穴だらけのパンにかぶりつく。
「そうそうゴードンと言えば。さっき朝の打ち合わせで会ったんだがな。なんかやたら上機嫌だったから、話してみたんだが」
 にやにやと笑うアストリア。なんだか嫌な予感がした。
「……それが?」
「昨日の夜お前と仲直りできたから嬉しい、って言ってたぜ」
 言葉を失った。かっと頭に血が上る。
 あいつ……なにを……!
「ある意味特殊な三角関係で大変だな〜。お前さんも」
 アストリアは俺とライアンのことも知っている。それを揶揄している以外にありえない。
 あの馬鹿……っ、言うに事欠いてそんなことを、しかもアストリアに言ってんだ?!俺を陥れたいのかあいつは!!
 にやにや笑いが止まらないアストリア。
「さーて、今夜は何奢ってくれるんだ?」
「………打たれたいか?」
「じゃあ、弓兵の諸君に言ってみようかな。幸せ者の話を。俺はジョルジュと違ってミディア一筋だからな。お前みたいに色々と噂されるのもうらやましいなー」
 にやにやにや。
 ぴしっと俺の頭に血管が浮く。
「ほおーーーおーー。お前さんのアカネイア花街での武勇談だったら、ミディアも興味深く聞くだろうな」
 まだミディアとつき合う前、俺と一緒になって奴も色々と遊び倒していたクチだ。どんな女を相手にしたとかトラブったとかはほとんど知っている。
「……おい、そりゃねえだろ。昔の話を持ち出すなんてのは卑怯だ」
「人を脅して奢らすのは卑怯じゃないってのか?」
「奢るくらいいーだろー。一緒に飲みいこうぜ、たまには」
「最初からそう誘え。当然だが割り勘でな。考えとく」
 俺はさっさと席を立つ。早くゴードンをとっ捕まえておかないと、この調子だと誰に何を洩らすかわからない。
 俺はろくに手をつけていないトレイを戻し、慌ただしく食堂を出た。




「すみませんでした……」
 連れ出した宿舎の裏手は人通りがなく、ここぞばかりに叱り倒すと、ゴードンは半泣きになった。
 とりあえず、他には誰にも言ってないという事が分かって一安心だ。
「今朝は、アストリアさんがなんだかすごく追求してくるので、つい……」
 あんの阿呆は、俺がらみの出来事にはやたら嗅覚が鋭い。アストリアに問い詰められちゃあ、ゴードンには対処の仕様もなかっただろう。
「ジョルジュさんが、昨日の夜はちょっとだけ、優しかったんですって言ったんですよ。それだけだったんですけど……」
「……お前な……」
 意味深だと思えない事もない表現。あいつだったら行間から察して欲しくない部分まで察してしまうだろう。とりあえず今後発言に気をつけるよう注意さえ出来れば、もうこいつに用はない。俺は黙って背を向け歩き出した。ゴードンが慌てて後を付いてくる。
 宿舎を通り抜け、広場に向かう。午前の合同訓練があるのだ。
 広場には既に兵の大部分が集合して、隊長による整列の合図を待っていた。
「よう、ご両人揃って登場か」
 統制のとれたアカネイア騎士団傭兵部隊を前に、にやにやアストリアが俺を見て言う。こういう阿呆は無視だ、無視。
 アカネイア軍アリティア軍合同訓練。今日は主要四部隊による大規模な演習が行われる。騎士団本部隊、傭兵部隊、魔道部隊、それと俺が率いる弓兵部隊だ。
 両軍の統率部隊長はアカネイア側であったりアリティア側であったり部隊によって様々だが、傭兵部隊はアストリアが、弓兵部隊は俺が務める事になっている。
 アリティア軍の弓兵部隊長は名ばかりの爺さんだから、副隊長であり実質的に隊長代理を務めるゴードンが統率部隊副隊長となる訳だ。朝の打ち合わせは本来は俺が参加するものなのだが、奴に代わりに行かせたのは、実際の指揮のほとんどを奴に取らせようと考えているからだ。まあ、俺が楽しようという算段もあるが、ゴードンもいい加減これぐらい勤まらんようじゃ駄目だろう、と思ってのことだ。
 そんな訳で、ゴードンの緊張はえらいものだろうが、俺はすげー気楽でいい。
 訓練は実際の戦闘を想定した形で行われる。大規模な演習であるため昼食もその合間に各自取ることとなり、ほぼ1日がかりだ。各々の部隊長の力量が試されるため、なかなか皆真剣である。兵士たちも、命までは奪われはしないが、油断してると怪我ぐらいはざらだ。
 しかもマルス国王陛下殿までわざわざ御見学ときている。訓練とはいえ、手は抜けないという事だ。
 いやが上でも高まる緊張の中、訓練は開始された。




 夜。
 夕食を前に、ゴードンがため息をついた。
「はあ……」
 俺は俺で朝よりもっと不機嫌な顔をしていることだろう。
「ジョルジュさん…、マルス様、苦笑いなさってましたね」
「………」
 俺は黙々と箸をすすめる。朝も昼もろくに食べてないから、とにかく食う。
「僕の指揮が悪かったんですよね……焦ってしまって全然的確な指示ができてなかった気がします」
「………」
 理由はどうあれ、ゴードンの率いた弓兵部隊はアストリア率いる傭兵部隊に囲まれ、身動きできない状態に追い込まれた。なにぶん至近距離に弱い部隊だ。そうなってしまっては全滅扱いとなる。実戦だったら間違いなく死んでる。俺以外。
 あまりに一方的な壊滅ぶりだっただけに、もうマルスも笑うしかないって感じだった。
「ジョルジュさんがせっかくくれた機会だったのに、みなさんに迷惑かけてしまって申し訳なくて……」
「実戦じゃないんだから別に気にするこっちゃねーんだよ、ゴードン。ボロ負けしようが敗走しようが、実戦じゃ生き残りさえすりゃいいんだ。どんなに良い戦略だろーが戦術だろーがそんなもんどうだっていいんだよ。生き残りさえすりゃあな」
「そうは言っても、今日のがもし実戦だったらって考えると……」
「どんな状況だって生き残る道はあるんだ。今日は、不利を見越してとっとと逃げ出さなかった奴が悪いってことだ」
「ジョルジュさん、僕の指揮無視してとっとと逃げましたもんね……」
 恨みがましく上目遣いで俺を見る。むう、なんだその顔は。
「そりゃ模擬戦とはいえ、やられっぱなしはいい気がしないからな」
「はあ……それは僕だってそうですけど……。でも、どうしてアストリアさん、打ち合わせと違って僕の部隊ばかり攻めて来たんでしょう?そんなに隙だらけでしたか……?」
 ゴードンは珍しく悔しさをあらわにして言った。
 アストリアの攻撃は、明らかに朝の打ち合わせで立てた基本戦略を無視した行動だった。
「実戦は打ち合わせ通りにはいかないって、お前がいつも批判してたじゃないか」
 演習後、しゃあしゃあと抜かしやがった。
 違うな。ありゃ俺への私怨だ。それなのにゴードンを標的とするのは筋違いじゃないか?
 演習の結果ではなく、そのことが俺を不愉快にしているのだが、ゴードンはどうやら自分の腑甲斐無さが原因だと思っているようだった。
 ここでゴードンを励ますのが筋なのかも知れないが、このところの俺はこいつに対して下手に出すぎている気がする。
 あえて訂正することなく、ゴードンが落ち込むままに任せる。
「でも……もし今日のが実戦だったとしたら……僕が指揮していて、部下達がそのせいで死んでしまったらって考えると……」
「そんなのはそいつにやる気がないか、よっぽど運がないかだ。部下を誰も死なせたくないっていうんなら、軍隊なんぞ辞めちまえ」
 俺が突き放すように言うと、ゴードンは押し黙った。ちらりと見ると、じーっと俺を見て瞳を潤ませている。
「ジョルジュさんーーー…」
 頭痛て……。
 んな、ガキがするみたいな目で俺を見るな。いい大人が。
 こいつのこういうすぐ人を頼るところは、俺がどうにかしねえといけないかもしれない。
 ゴードンのぐずぐずと鼻をすする音を聞きながら夕食を終え、もたもたと片付ける奴を置いてひとり食堂を出た。