二人の生活1

 廉が我が家で暮らすようになってから、早や1ヶ月が経とうとしている。
 こうなるまでに、色々、ほんとーに色々あった訳だが、こうしていざ、平和な日々が戻ってくると、今度は何だか落ち着かなくなっている自分がいる。いつまでこの生活が続けられるのだろうかと、幸せな一方でその不安が常につきまとうのだ。
 俺と廉が共にいるという事は、事件を自然と呼び込むという事で、そういう体質なのだと教えられて以来散々思い知らされている。
 かといって、廉と離れて暮らそうなどとは露ほども思わない。それこそ、俺が生きていけない。廉も、俺と同じ気持ちなのか、はたまた諦めているのか、もう、自ら離れようとはしなくなった。
 まあ、当人曰く
「どこに行ったって、追いかけてくる馬鹿がいるからね」
という事だそうだが。死にそうになりながら追いかけた甲斐があったというもんだ、うん。
 などと自己満足していると、三華には「呆れられてるだけじゃないの」と突っ込まれた訳だが…。
 そんなこんなで、廉は今俺のうちから一緒に大学に通っている。
 朝、俺が起きて部屋を出ると、挽き立てのコーヒーの匂いと、台所に立つ美麗な後ろ姿。
 これが日常だと思うだけで、堪らなく幸せな気持ちになる。
 そして当たり前のように、後ろから抱き締める。
「お早う、大樹」
 耳元で囁かれる声は、それだけで体の奥まで痺れてくる。
「廉……」 
「で、今料理中だから、離してくれないか」
 思わずキスしようとしたら、簡単に躱された。
「朝の挨拶ぐらい、いいじゃないか」
「周りを良く見てからにしなさい」
 む?
 しぶしぶ廉から目を外し、ダイニングを見渡す。
「おはよー、マサ兄」
 刺々しい視線を向ける三華が、ダイニングから続く廊下に立っていた。
「お、お前いつの間に」
「いつの間に、じゃないわよ。年頃の妹が同居してるって事を毎朝毎朝忘れないで欲しいわよねー」
 三華は呆れたように言いながら、テーブルに置いてあるパンをトースターに放り込んだ。それも自分用のらしく、1枚だけ。
「年頃って言う程繊細な性格してないだろうよ、三華。ついでに俺の分も一緒に焼いてくれ」
「マサ兄よりは全然繊細ですよーだ。自分の分は自分でやってよね」
「それに別に忘れてる訳じゃないぞ。廉しか見えてないだけだ」
「そう言うと思った…」
 肩を竦めて、自分の部屋に戻る三華。
 心底呆れたようだったが、構うものか。三華に何と言われようと、俺は幸せなんだ。どーだ、わっはっはっは。
「パン、焼いたら?」
 廉にそう言われ、我に返った。俺は嫌々ながら廉から離れ、加熱中のトースターを開けて自分の分を追加した。
「やっぱり、いずれは2人で暮らすっていう方が、いいんだけどな、俺は」
「三華ちゃんを1人には出来ないだろう?」
「そりゃま、そうなんだけど…」
 いずれ三華に好きな奴が出来て、お互い円満に別居出来るっていうのが、俺的には理想なのだが。
「それはまあ百歩譲るとしてだなー納得いかないことがある」
 以前は物置きとして使っていた部屋を片付けて、そこを今は廉の部屋として使っている。2人には元々広すぎる家だったから、余った部屋を使う事には問題は無いのだが、問題はなぜ、廉が俺の部屋で一緒に暮らすという提案を嫌がるかという事だ。
 廉は大げさに溜息をついた。
「いい加減しつこいよ、大樹」
 同居して以来1ヶ月、俺は毎日の様に不平を漏らしてるから、廉はその問いには辟易しているようだった。
「何度も言ってるだろ。大樹と一緒だと落ち着かないから、って」
「それが納得いかねーのよ…」
 俺は机に突っ伏して上目遣いで廉の背中を見る。
「……ゆっくり寝かせてくれなさそうだし」
「それはまあ、そうだな」
 正直言って廉とだったら、丸一日以上裸で抱き合ってたって飽きないと思う、俺は。
「だからお互いの為だと思うよ、僕は」
「でも、せっかく一つ屋根の下で暮らせるようになったのにだな…」
「大樹はこの生活じゃ、不満だと?」
 廉が振り向く。
 口調とは裏腹に、うっすらと微笑を浮かべる廉を見るだけで、俺の苛立ちはあっという間にどこかへ消えて行く、
 俺は立ち上がると、廉の腕を掴み、顔を寄せた。
「……危ないから、止めなさい」
 廉が手に持つ皿を受けると机に置いて、反論させまいとくちづける。
 嫌がるように見えていた廉も、俺が舌を入れると応えてきた。ねっとりと絡め合わせ、更に深く、求める。
「……大樹との生活は、簡単に堕落しそうだ」
 廉が身を離し、名残惜しがる俺の手を避けて肩を竦める。
 俺としては大学なんかうっちゃって、朝から一日中でもベッドインしたいくらいなのだが、そんな生活三華に何を言われるか分かったもんじゃない。分かっているから我慢しているし、三華の方もすぐにでも廉一色になりそうな馬鹿な兄の生活を心配してくれているのだと思う。
 有り難いと思う一方で、時折押さえ難い衝動にかられる事もある。それは多分、ずっと求めて求めて、抑圧され続けて来た感情の発露なのだ。目の前の、手の届く範囲内に廉が居る。それだけで、俺の感情が限りなく昂っていくのだ。
「それじゃ、僕は先に行くよ」
 はたと気付くと廉はさっさと食事を片づけ、いつの間にか外出準備も万端に、玄関に立っている。
「え、ちょっと、おい」
 その脇を、これまた制服に着替えた三華が廉に手を振りながら出て行った。おいこら、兄に挨拶は無いのか、兄には!
 というか、その廉までも今目の前で出かけようとしている。
「ちょっと待て!今すぐ行くから!」
 俺は慌てて残った朝食をたいらげ、自室に飛び込んで猛スピードで着替えを済ました。
 車のキーと鞄だけ掴んでダイニングに舞い戻るが、既に廉の姿は無い。
 あーもう、やっぱり相変わらずの廉さまだぜ…。
 でもそんなとこも好きなんだけどな。マゾと呼ぶなら呼べ。廉にされる事だったら何でも許せるぞ、俺は。
 そうして、鍵を閉め、急いで階段を降りると俺のパジェロの横に、麗しの後ろ姿。
 そんな所が、また、大好きさ。
 思わず抱きつき、思いきり嫌がられながらも、俺と廉は車に乗り込んで、大学に向かったのだった。